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2020/10/02

何事ありても自殺はするな

「(前略)しかしそれまでの十年間の苦痛悔恨! 
垂下せる(※首つり自殺した)醜しき骸……
人生の悲惨に泣く良人と二人の子供とのあわれな姿……。
眼には見えても助くる道も、慰める術もなき私の心の苦しみは、どれほどでありましたろう!

で、私は衷心から自殺を計る所の一切の人々に向かって警告したいと存じます。―
何事ありとも、自殺ばかりはなさいますな!(※下線部は、原文は傍点で強調あり)

あなたは何にも御存知がないので、今自殺しようとして居られますが、それは御自分の入る地獄を造り上げるのです。
一たん身体から出脱けた上は、モウ二度とその内部(なか)へは戻れません。
それツきり御自分の務めを果たすことができなくなります。

何よりも先ず、私の子供等のあわれな身の上を考えて下さい。自分達の母親は自殺をしたのである、という考えから、終生離るることができないではありませんか! 
私の良人も、又子供等も、決して心から私を許す気にはなれません。
たとえそれが憑霊の仕業であって、自分自身の心から出た仕業ではないにしても、私はあんなに苦しまねばなりませんでした!

もしもあなたが、真に霊界方面の法則を御存じならば、あなたは決して自殺しようとはなさらないでしょう。
その結果が実に恐ろしいからです。
是非その忌まわしい考えにだけは打ち勝ってください。
自然にあなたが霊界に入らねばならぬ時節の到来するまで、この地の世界で幸福にお暮らしなさいませ。

私が苦しみ抜いた十年という歳月は、私が無理に縮めた期間でした。
あの十年を地上で過ごした上で、私は霊界の人として、又母としてやるだけの任務を首尾よく果たした上で……。

霊界には霊界の厳律がございます。自分に与えられたる期間を、現世で過ごした上でなければ、自分ぎめに霊界には入れません。
私は私の過失に対する刑罰として、十年の間、間断なく自分の眼に、自分の醜しき屍骸の垂下している状況を見せられました。
そしてその間、私は自分の良人と、子供等とがどんなに困っているかという事を忘るる隙とてありませんでした。(…)」


――― 浅野和三郎抄訳 ウイークランド原著『者に交る三十年』(心霊文庫第17篇)
     「憑依と自殺の実例 その一、何事ありても自殺はするな」より一部抜粋


(※は補い、旧字表記を現代仮名遣い(表記)になおしております。)


2022/05/06

安易な瞑想について

ご質問コーナー 
Q.
世界平和のための瞑想を集まってやるからと誘われましたが。

A.
 安易な瞑想は危険ですから、おすすめできません。瞑想は原則として、日常生活を自己の心身の浄化と世のため人のために志を立てて生活努力をしている人が行うべきものです。なぜかというと、瞑想中は自己の意志のコントロールを横に置いて無心の状態になりますので、この隙を狙って邪気、邪霊が容易に感応し易くなります。ですから、右の生活努力のない人の安易な瞑想は、甚だ危険なのです。だからその瞑想会が世界平和と銘を打っていても、一般には集まる人々が右に記したようなふつうの人々が多数の場合は、この隙を狙って邪気、邪霊がとりつき働くことがあり、その結果、目的とは裏腹の結果を招く恐れがないとはいえません。

 通常の人々に日常はたらく霊の様相については、詳細が書いてありますから石上凉『ボクの霊体験日記』(でくのぼう出版)をご参照ください。また原理については桑原啓善『デクノボー革命』下巻(でくのぼう出版)をご参照ください。

海

 
2022/05/04

霊的Q&A

Q
イエスはまた、汝の敵を愛せよ、と言われました。しかし、我々の敵を愛するとは、我々の自然の性向に相反します。また敵意は、霊的に共感するものが欠けているから、生まれるのではありませんか。

A
 「確かに、人間が自分の敵に、優しさや熱い思いを抱くなど、難しい事だろう。また、イエスもそのような事を命じたのではなかった。〈汝の敵を愛すること〉は、その者を許すことである。また悪に対して善を返すことである。その事によって、諸君は相手よりも優れた者となる、恨みをもってすれば、相手の下に自分を置くことになる」
 

―― 桑原啓善訳 アラン・カーデック『霊の書』〔八八七〕より


 
  
2022/05/02

新時代の到来

 「今や、キリスト再臨の予言は成就されつつある、『助け主は来るべし』というその言葉のとおりに。再臨とはキリストの霊の感化がゆきわたることで、現に再臨は諸君らの間に実現されつつある。
至福の境に達した諸霊が、いま地上のモヤの中で活動している。その効果の第一は、不和の増大、魔軍の敵対活動の激化、そして既存勢力の動揺、これらである。
霊力が投入されると、公然たるそれへの反抗、ひどい頑迷と不寛容が起こり、その後に必ず新しい真理が現れるのである。」 





――― 桑原啓善訳 ステイントン・モーゼス『続霊訓』p62より








2022/04/30

今日の言葉

Is there any use in asking God to forgive us our faults?
 神に自分の過ちの許しを請うことは有効ですか。

"God discerns the good and the evil: prayer does not hid faults from His eyes. He who asks of God the forgiveness of his faults, obtains that forgiveness only through a change of conduct. Good deeds are the best prayers, for deeds are of more worth than words." 
 「神は善人も悪人もお見通しである。祈ったとて神の目から過ちが消えることはあり得ない。自己の過ちの許しを神に求める者は、その行いを変えることで、その許しを得る。善を行うこと、それは最高の祈りである。何となれば、行為は言葉に勝るからである」 

 

桑原啓善訳 アラン・カーデック霊の書』(中)661より