2017/08/15

「運命」と「死」の真実


〔八五一〕 人生には運命(それは定義どおりの普通の意味ですが)がありますか。即ち、予め定められている人生の出来事のことです。もしあるなら、自由意志はどうなりますか。


運命があるとすれば、再生の時に、それぞれの霊がこれこれの試練を担おうと決意をした、その結果があるだけである。この試練を選ぶことによって、彼は自分のための一種の運命をつくる。その運命なるものは、彼が自分をそこに置きたいと選択したその状況、その当然の結果である。今ここで話しているのは、肉体的試練についてだけである。と申すのは、精神的試練や誘惑ということについては、善悪いずれを選ぶか、それに従うか拒否するか、これには選択の自由を霊が残しておくのが通例であるからである。善霊は、しりごみをする人を見れば、やって来て助けてやる。しかし、本人の意志の働きを犯すところまではしない。これに反して悪霊は――つまり未発達霊は、あれこれつべこべと不安を吹き込んでは、本人を悩ませ脅かす。しかし、そうではあっても、本人の霊がどんな選択をするか、その意志の自由は残されている」




〔八五六〕 地上生活でどんな死に方をするか、これを予め知っていますか。


「霊は、自分が自分の人生を選んだこと、そこである一定の死に方をすること、これを知っている。また霊は、その危険を避けるために自分がせねばならぬ努力を予見している。更に霊は知っている、もし神のお許しがあれば、自分はそれを免れるということを」




〔八六〇〕意志と努力で、人はもしかしたら起こる筈だった事件を、起こらずにすますことが可能ですか。また、この逆もあり得ますか。


「自分の選択した人生と、この事が矛盾せぬなら、それは可能。更に、善を為すために、これこそ人生の唯一の目的であり、そうあるべき善を行うために、人は悪を避けてもよい、なかんずく、大きな悪の元になりそうな事を妨害してよろしい」



(『霊の書(下)』アラン・カーディック編.桑原啓善訳.pp.103―104,p106,p108)

2017/08/13

今日の言葉

 いま夜盗が押し入って物を盗んだとしよう。
皆さんはあきらめ顔にこう言うだろう「カルマのせいだ」と。
しかし、大事なことは、そのカルマで貴方は何かを学んだかということ。
それでなければ、そのカルマは戻って来る、来世、再来世といわず、今生のうちに。
つまりこういうことですかな、かつて貴方は人の物を盗んで苦痛を与えたことがある、だから貴方は盗まれることが何であるかを、学ばねばならないのだ。
カルマというのは吾等の学習のためにある。それによって吾等はもの事を知る。またそれにかかわる他者もまた学習をする。


――― ホワイト・イーグル 
     (桑原啓善訳 グレース・クック『霊性進化の道』より)


 
2017/08/11

今日の言葉

 人は過去のカルマを変更することは出来ない。しかし未来を変えることは出来る。
そのためには、神法に従って自己統制を加えていけばよろしいのである。
皆さん、この知恵をもちなさい。
自己統制をせよ、思想を言葉を統制せよ、愛と親切心をもちなされ。
万事が次の一事に帰する、つまり、親切であり、同情心をもち、殊更に生あるものすべてに苦痛を与えぬこと。
他者に対する無思慮、無知、故意がどんなに有害であるか、この事を知った者は未来を大切にするものである。
英知の師達は決して他を害することをせぬ、愛と同情そのものである。
また、師達は正義の法を認めていて、すべての生命が終局において、一切生命の源である神光に照らされ、その秤によって正されることを知っている。



――― ホワイト・イーグル
     (桑原啓善訳 グレース・クック『霊性進化の道』より)



 
2017/08/09

今日の言葉

 貴方の背後にある力は、あらゆる生命の主、神の力、宇宙至高の力である。
この力は必ず顕現されるに違いない、そして貴方はこの力の地上降下に助力することができる。
そのためには、貴方が何をするかは問題でない――貴方が人を立ち上らせるかどうか、激励の一言を与えるかどうか、霊的なこと物質的なことを問わず、そのいずれにても奉仕するかどうか――
貴方が奉仕に努めて怠らない限り、貴方はいやしくも神の通路である。



――― シルバー・バーチ     

    桑原啓善訳「シルバー・バーチ霊言集」より
2017/08/07

今日の言葉

「我らの使命はご承知のとおり。
信仰が冷えた日に、神と不死への信が衰えていく日に、我らは来て人々に示す、
人間が不死であることを、人は神の火花である魂を内に秘めるものであることを。

 我らは人々に過去の誤りを教えたい、生命が進歩であることを伝えたい、
人々の目を向上と成長の未来へと向けさせたいのである」

「これにより人々は、愛と慈悲と憐(あわ)れみと人への奉仕、
さらには神への崇敬、これを全生命とする霊達の存在を知るに至るのである」

 『霊訓』



桑原啓善訳 ステイントン・モーゼス『続霊訓』より)