2017/11/13

今日の言葉

 大白色霊団の団員は、すべての生きものと自己との関係を承知しています。
自己を、小さな虫けらや花や陽光や雨と、同じものとします。
これが道です。
皆さん。これあってはじめて「社殿」へと入れる、その道です。
詩人はこう歌っています。
「壁の裂け目より咲き出でし花よ、もし、私にお前の生命が分かれば、神も宇宙も分かるだろうに」と。
されば、皆さんには分かるのです。
単に心で分かるのでなく、自分を光や生命の流れと同一視することで、さらには、太陽あるいは神の活動の一つとなることによってです。


――― ホワイト・イーグル

   (桑原啓善訳 グレース・クック『天使と妖精』より)






 
2017/08/23

宮沢賢治とボアンカレの心霊現象

やはり宮沢賢治は、心霊現象に深い関心があったという話です―――


秋山真之が日本海海戦の際見た予兆的霊夢の話は、浅野和三郎先生の晩年の名著『神霊主義』にも記されています。『神霊主義』には、この他にも霊夢の実例が幾つか挙げられていますが、そのなかにボアンカレ(フランスの有名な数学者)のもありました。


「(ボアンカレは)すべての方程式を解くべき一般法則を発見しようとして連日あらん限りの知能を絞っていました。ある夜もその問題を散々考えた後、眠りにつきましたが、翌朝目を覚ますと、数枚の紙にその問題の完全な解式が書かれてあったといいます」(『神霊主義』浅野和三郎)


実はボアンカレの名前を見て、私は宮沢賢治を思い出しました。賢治は霊能力者でした(賢治の場合、霊覚者と言うべきですが)。賢治は、自分に起こる心霊現象を科学的に解明したかったようです。ですから親しい友人森荘已池氏には会う度にしょっちゅう霊的な話をしたそうです。桑原啓善先生の『宮沢賢治の霊の世界』をご覧下さい。

その森荘已池氏のある文章の中に、賢治がボアンカレの霊的現象に関心をもっていたことを裏付ける一節があります。賢治はボアンカレの岩波文庫の本に、霊的現象の箇所にアンダーラインを引いていたというのです。賢治はやっぱりボアンカレなどの天才に起こった心霊現象(インスピレーションとふつうは言います)が頻繁にあったのでしょう。<心象スケッチ>という宮沢賢治の創作のひみつもそこにあるという桑原啓善先生の言葉も、頷けます。


土蔵の前に、畳の上敷用のゴザが広げられ、何十冊かの本がしみじみと陽を浴びてゐるのを私は見たのだ。私はそこにひとりでにしやがみこんで、それらの本を見つめた。きのふまで宮澤さんの枕の傍にあつたものであつた。
 前の日 ―― 昭和八年九月廿二日の朝、私は死の床の前にきちんと坐りこみ、両膝に両手を載せてうつむき、じつと宮澤さんの死顔を見て、ぽかぽかと、ただからだ中が熱くなる怒りを押さへつけてゐた。何に、どうして怒つたのか、その果て、枕もとに積んだ本が目につき、一番上に関徳弥氏が何日か前に盛岡の私の家を訪ねてくれた時に依頼してとどけた、岩波文庫のポアンカレの本が載つてゐた。
 私はそれを手に取つた。そのこまかい活字の各頁に、鉛筆で線が引いてあつた。
 街の曲り角を曲る時などパツと突然むづかしい数学の回答が出来たりすることがあるといふところには、恐らくニコニコと我意を得たといふやうな顔で線をひつぱつただらうと、私は秀でた顔や、高い鼻、少しそつぱなために作る上くちびるの特徴など、いまはもう虚無の方に近い温度になつてゐる人の顔を、ポアンカレの頁と比べて見つめた。(森荘已池「『春と修羅』私観2」)




<参考文献>

宮沢賢治の霊の世界』 桑原啓善 でくのぼう出版
宮沢賢治を霊的視点からとらえた、宮沢賢治研究の原点となる名著。

『スピリチュアルな宮沢賢治の世界』 熊谷えり子 でくのぼう出版
宮沢賢治自身の予知夢についてとりあげている。

 
2017/07/06

憑依霊は自分が呼んだもの

>213  一家に災いあれば、これは邪霊の働きであるとして、直ちにこれを除けと言う。これは宇宙の根本義を忘れた誤りである。

 霊がつくのは、何かの縁があってついた。霊と本人との間に一致点があって、その波長関係でついた。これには自分にも霊にも、それぞれ一半の責任がある。だから霊と縁がきりたければ、霊のことも考えてやらねばならぬ。除くのではなく、除かねばならぬことを教えてくれた霊魂に敬意と感謝をもち、自分にその霊を呼ぶ未熟な心があったことも反省し、しかる後霊とともに向上しようとせねばならぬ。

 宇宙は、霊魂によって人を教えさとしてくれるもの。ここの根本義をよくよく心にとめるのが、実践に当たっての心構えである。


   ――― スピリチュアルな生き方原典
        日本神霊主義聴聞録
        脇 長生講述  桑原啓善筆録



2017/05/29

協力が法則

 私たち霊界人は、一人で事を行なうということはない。協力が法則であるからだ。私達はその仕事に必要なすべての個性の人々を集めて、これをうって一丸として、できるだけ完ぺきな一団を形成する。これはあたかもオーケストラのようなものだ。かりにその中の最小の一人でもが音を誤れば、他がすべて優れた奏者であっても、不調和を生みだす。協力は法則である。〔253〕


――― シルバー・バーチ



〔注〕一番むずかしい役は、グループの中で一番小さな役割の人かもしれない。少しも目立たないところで、最もうまく役をこなしても誰もほめてくれない役割を完ぺきにこなさなければならないからだ。その人がいちばん我(が)が少ない偉大な人物であるともいえる。宇宙は公平無私。どの役も偉大でむずかしい。ただそれを完全に果たすには、誰しも無私が必要とされる。その点で責任は同じで、だからその結果の功績も同じである。


――― 桑原啓善  (桑原啓善編著『シルバー・バーチに聞く』より)









2017/01/29

百パーセント危険な霊能開発

「 若し彼らにして一片の利己心があつたなら、そは必ず彼等の成功の心臓部を食い破つたであらう。」  『霊訓』※より 

※ステイントン・モーゼスを霊媒として、インペレーター(聖アウグスティヌスといわれる)を団長とする霊団より送られてきた通信。





 確かに霊能力は鍛錬すると出てきます。一つには体質にもよりますが、霊視能力も霊聴能力も物理的能力もそれだけ鍛錬すれば、その養成法、訓練によっては開けないことはないのです。しかし『霊訓』ではすぐれた霊能力をもつ霊媒になるよう霊能力を磨けとは絶対いわないのです。それは必要ないから、むしろやってはいけないからいわないのです。霊能力は開こうとすれば開けますが、今の時代は特に霊能力だけ磨いたら絶対いけません。やれば、ほんのわずかな我があっても百パーセントサタンは入ってきます。命取りになるからぜったいそれをやってはいけないのです。霊能力があることがいけないのではなく、愛と奉仕をせずに霊能力だけを第一目的に開こうとすると百パーセントサタンが入ってくるということなのです。これは絶対間違いのないことです。人によって違いますが霊能力を開くと霊視がきいたり予知が出来たり霊感が出てきたりしますが、それは神もなさるがサタンもやらせるのです。同じ位のサイキック能力が発揮できるので、それが神であるかサタンであるか本人は気づかないのです。ですから私は、愛と奉仕、愛と奉仕と、それしか言わないのです。そうすればその人の使命達成に必要な霊能は必ず結果として出てきます。それなのに、愛と奉仕を横においておいて霊能だけ求めるからサタンにやられるのです。一分の我があってもやられるのですから、せっかく霊能を開いても自分はサタンの支配下にさせられてしまします。

---桑原啓善


(『地球を救う霊的常識2』桑原啓善、でくのぼう出版、1995.11、pp42-43)