2017/01/29

百パーセント危険な霊能開発

「 若し彼らにして一片の利己心があつたなら、そは必ず彼等の成功の心臓部を食い破つたであらう。」  『霊訓』※より 

※ステイントン・モーゼスを霊媒として、インペレーター(聖アウグスティヌスといわれる)を団長とする霊団より送られてきた通信。





 確かに霊能力は鍛錬すると出てきます。一つには体質にもよりますが、霊視能力も霊聴能力も物理的能力もそれだけ鍛錬すれば、その養成法、訓練によっては開けないことはないのです。しかし『霊訓』ではすぐれた霊能力をもつ霊媒になるよう霊能力を磨けとは絶対いわないのです。それは必要ないから、むしろやってはいけないからいわないのです。霊能力は開こうとすれば開けますが、今の時代は特に霊能力だけ磨いたら絶対いけません。やれば、ほんのわずかな我があっても百パーセントサタンは入ってきます。命取りになるからぜったいそれをやってはいけないのです。霊能力があることがいけないのではなく、愛と奉仕をせずに霊能力だけを第一目的に開こうとすると百パーセントサタンが入ってくるということなのです。これは絶対間違いのないことです。人によって違いますが霊能力を開くと霊視がきいたり予知が出来たり霊感が出てきたりしますが、それは神もなさるがサタンもやらせるのです。同じ位のサイキック能力が発揮できるので、それが神であるかサタンであるか本人は気づかないのです。ですから私は、愛と奉仕、愛と奉仕と、それしか言わないのです。そうすればその人の使命達成に必要な霊能は必ず結果として出てきます。それなのに、愛と奉仕を横においておいて霊能だけ求めるからサタンにやられるのです。一分の我があってもやられるのですから、せっかく霊能を開いても自分はサタンの支配下にさせられてしまします。

---桑原啓善


(『地球を救う霊的常識2』桑原啓善、でくのぼう出版、1995.11、pp42-43)
2017/01/21

深遠の道を進む者の心得るべきこと

 あなた方はすごく過敏になるのですよ。つまり他人の言葉や行為の結果にすぐピリピリとくるのです。これには冷静に賢く対処できるようにならねばなりません。
皆さんは心臓と咽喉と頭のチャクラが、ある程度目覚めさせられました、だから他人の想念や言葉に過敏になるのです。それ故に、内在の力を発揮して安定を保つことが極めて大切なのです。
冷静にして心を外に向け、他者の幸福の方に思いを向ける。内向的になって自分の欠点や過失や失敗に、くよくよじくじくしないようになることです。多くの人が自己内省で余りに時間を使いすぎています……これとあれとどっちが正しい? これが間違い? あれが間違い? とウジウジします。
自分の進歩のことで過熱し、余りに取越苦労をします。これは弱さです。克服されねばならないものです。
少々の間違いは重大なことではありません。肝心かなめなことは、あなたが今何を考えているかです。愛で、共感で、大きな心で、何を人類に貢献しているか、これです。



――― ホワイト・イーグル (桑原啓善訳 『光への道』より)


2016/12/13

『秘儀への道』より 6

 人が霊の道に一歩を置くと、たちまち困難や挫折に見舞われることがあります。
どうしますか? 蹴とばしますか? 背を向けて逃げ出しますか? それとも、状況に応じて賢明に、また内部のキリスト光をもって処理なさいますか? 
私共は今皆さんの立場から話しています。しかし本当のことを語っています。
人はよくこう言います。「ホワイト・イーグルさん、なぜこんなことになったのですか。私がこれを仕出かしたとでもいうのですか?」
私共には人の叫びは聞こえもしますし、分かりもします。
だが、人に悲劇と見えることは、最後には素敵な学習の機会になるものです。それは霊性進化のチャンスなのです。
それあればこそ、悩みも失敗も傷も失意も、きれいに最後には拭い去られる霊性進化のチャンスだった、そうなることを私共が保証しておきます。
魂はこうした学習を、地上の経験を通じてのみ学べるものです。
人が神のように人生を歩くためには、内部の神を発現するに役立つ、すべてのチャンスを受け入れるようにせねばなりません。
天使らはいつだって皆さんの方に手を差し伸べています。このことを心にとめておかれるように。


――― ホワイト・イーグル 
     (桑原啓善訳 グレース・クック『秘儀への道』より)







2016/09/27

奉仕における想念の力

 想念は文字どおり形をとります。それに波長が合う人の目にはそれが見えます。たとえば、祈りの想念は人を高い世界へと高め、その段階で美しい形を創造します。ただ幽界あたりでマゴマゴしている人には、そうはいきませんがね。皆さんから出る一つ一つの想念は、波長の法則によって、それに相応するエーテル波動を呼んでいるのです。皆さんはこう言うことがありますね。「ワッ、私の背中に黒い子犬がのっかってる」と。多分それはそうかもしれません。ただ、それを創ったのは貴方です。そいつを鎖で背中に縛り付けたのは貴方ですぞ! 
他方、怒ったり人を非難する想念は、幽体(感情の媒体)をこの上なく醜悪な色で満たし、稲妻のように方向性を持ち、有害なものとして発出されます。決してこういう想念は持たないことです。そうではなしに、人に対しては、美しい光った想念を出すようにしましょう。それが貴方のため、周りの人々のためです。
 
 ここにすべての人に開かれた奉仕の道があります。みなさんが公衆の場にある時――たとえば乗り物に乗ったとしましょう――その列車なりバスなりに、誰か悲しげな、くたびれた、打ちひしがれた顔付の人が乗ってきたら、よく見て気付きなさい。心静かに坐り、その人物に愛と平和の念を送りなさい。親切な想念を一心に思いなさい。すると、大師がその気の毒な魂に信号を発します。愛と親切と光に充ち、相手にピタリと向けられた想念には、証が現れます。その人が光り輝いてくるのが分かりましょう。この人の悩みは消え、貴方はその人を助けたことになるのです。その人はその瞬間から、おそらくいわば「新しい生涯」を辿ることになりましょう。



――― ホワイト・イーグル
      (桑原啓善訳 ホワイト・イーグル『秘儀への道』より)






2016/09/21

宮沢賢治とボアンカレの心霊現象

やはり宮沢賢治は、心霊現象に深い関心があったという話です―――


秋山真之が日本海海戦の際見た予兆的霊夢の話は、浅野和三郎先生の晩年の名著『神霊主義』にも記されています。『神霊主義』には、この他にも霊夢の実例が幾つか挙げられていますが、そのなかにボアンカレ(フランスの有名な数学者)のもありました。


「(ボアンカレは)すべての方程式を解くべき一般法則を発見しようとして連日あらん限りの知能を絞っていました。ある夜もその問題を散々考えた後、眠りにつきましたが、翌朝目を覚ますと、数枚の紙にその問題の完全な解式が書かれてあったといいます」(『神霊主義』浅野和三郎)


実はボアンカレの名前を見て、私は宮沢賢治を思い出しました。賢治は霊能力者でした(賢治の場合、霊覚者と言うべきですが)。賢治は、自分に起こる心霊現象を科学的に解明したかったようです。ですから親しい友人森荘已池氏には会う度にしょっちゅう霊的な話をしたそうです。桑原啓善先生の『宮沢賢治の霊の世界』をご覧下さい。

その森荘已池氏のある文章の中に、賢治がボアンカレの霊的現象に関心をもっていたことを裏付ける一節があります。賢治はボアンカレの岩波文庫の本に、霊的現象の箇所にアンダーラインを引いていたというのです。賢治はやっぱりボアンカレなどの天才に起こった心霊現象(インスピレーションとふつうは言います)が頻繁にあったのでしょう。<心象スケッチ>という宮沢賢治の創作のひみつもそこにあるという桑原啓善先生の言葉も、頷けます。


土蔵の前に、畳の上敷用のゴザが広げられ、何十冊かの本がしみじみと陽を浴びてゐるのを私は見たのだ。私はそこにひとりでにしやがみこんで、それらの本を見つめた。きのふまで宮澤さんの枕の傍にあつたものであつた。
 前の日 ―― 昭和八年九月廿二日の朝、私は死の床の前にきちんと坐りこみ、両膝に両手を載せてうつむき、じつと宮澤さんの死顔を見て、ぽかぽかと、ただからだ中が熱くなる怒りを押さへつけてゐた。何に、どうして怒つたのか、その果て、枕もとに積んだ本が目につき、一番上に関徳弥氏が何日か前に盛岡の私の家を訪ねてくれた時に依頼してとどけた、岩波文庫のポアンカレの本が載つてゐた。
 私はそれを手に取つた。そのこまかい活字の各頁に、鉛筆で線が引いてあつた。
 街の曲り角を曲る時などパツと突然むづかしい数学の回答が出来たりすることがあるといふところには、恐らくニコニコと我意を得たといふやうな顔で線をひつぱつただらうと、私は秀でた顔や、高い鼻、少しそつぱなために作る上くちびるの特徴など、いまはもう虚無の方に近い温度になつてゐる人の顔を、ポアンカレの頁と比べて見つめた。(森荘已池「『春と修羅』私観2」)




<参考文献>

宮沢賢治の霊の世界』 桑原啓善 でくのぼう出版
宮沢賢治を霊的視点からとらえた、宮沢賢治研究の原点となる名著。

『スピリチュアルな宮沢賢治の世界』 熊谷えり子 でくのぼう出版
宮沢賢治自身の予知夢についてとりあげている。