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2019/12/06

今日の言葉

カルマはスピードアップ出来るのかと、皆さんはお聞きになりたかろう。
左様、大いにあり得る。
特に魂の目覚めが起こった場合そうである。
かような場合、魂は、天界の神の姿をチラリとのぞいているのである。
この時、魂はこう叫ぶ「神のみもとへ近付きたい、一刻も早く、そこへ参上したい」と。
その答えはかように届く、
「よろしい、吾が子よ。但しその前に、そなたは自身の浄化をうんと積んでおかねばならなぬ」と。
やがて再生の時が来て、カルマは促進される。
その再生の生涯は、よそ目にはある程度、辛く悲しいものに見えるかも知れぬ。
しかし、一度神の幻を見た本人にとっては、何ほどのこともないのである。
本人は、このカルマによってゴールに到達できることを承知して、そのカルマを負う。
それ故、吾等は人を裁くことは出来ない。
吾等は他の者の人生航路を、あれこれ批判することをせぬのである。



ーーー ホワイト・イーグル
桑原啓善訳 グレース・クック「霊性進化の道」より)







 
2019/11/02

百パーセント危険な霊能開発

「 若し彼らにして一片の利己心があつたなら、そは必ず彼等の成功の心臓部を食い破つたであらう。」  『霊訓』※より 

※ステイントン・モーゼスを霊媒として、インペレーターを団長とする霊団より送られてきた通信。





 確かに霊能力は鍛錬すると出てきます。一つには体質にもよりますが、霊視能力も霊聴能力も物理的能力もそれだけ鍛錬すれば、その養成法、訓練によっては開けないことはないのです。しかし『霊訓』ではすぐれた霊能力をもつ霊媒になるよう霊能力を磨けとは絶対いわないのです。それは必要ないから、むしろやってはいけないからいわないのです。霊能力は開こうとすれば開けますが、今の時代は特に霊能力だけ磨いたら絶対いけません。やれば、ほんのわずかな我があっても百パーセントサタンは入ってきます。命取りになるからぜったいそれをやってはいけないのです。霊能力があることがいけないのではなく、愛と奉仕をせずに霊能力だけを第一目的に開こうとすると百パーセントサタンが入ってくるということなのです。これは絶対間違いのないことです。人によって違いますが霊能力を開くと霊視がきいたり予知が出来たり霊感が出てきたりしますが、それは神もなさるがサタンもやらせるのです。同じ位のサイキック能力が発揮できるので、それが神であるかサタンであるか本人は気づかないのです。ですから私は、愛と奉仕、愛と奉仕と、それしか言わないのです。そうすればその人の使命達成に必要な霊能は必ず結果として出てきます。それなのに、愛と奉仕を横においておいて霊能だけ求めるからサタンにやられるのです。一分の我があってもやられるのですから、せっかく霊能を開いても自分はサタンの支配下にさせられてしまします。

---桑原啓善


(『地球を救う霊的常識2』桑原啓善、でくのぼう出版、1995.11、pp42-43)
2019/10/25

今日の言葉

 大白色霊団の団員は、すべての生きものと自己との関係を承知しています。
自己を、小さな虫けらや花や陽光や雨と、同じものとします。
これが道です。
皆さん。これあってはじめて「社殿」へと入れる、その道です。
詩人はこう歌っています。
「壁の裂け目より咲き出でし花よ、もし、私にお前の生命が分かれば、神も宇宙も分かるだろうに」と。
されば、皆さんには分かるのです。
単に心で分かるのでなく、自分を光や生命の流れと同一視することで、さらには、太陽あるいは神の活動の一つとなることによってです。


――― ホワイト・イーグル

   (桑原啓善訳 グレース・クック『天使と妖精』より)






 
2019/10/23

今日の言葉

 祈りは、誠実さと謙虚さをもってする、極めて有力な手段である。
ただ一つのことを祈れ、神の愛を。
神の光のいや増さんことを祈れ。
己れのためにでなく、他者がその光によって祝福されんがために。
これが祈りの道である。
神のために祈れ、善のために祈れ、他者のために祈れ、
その余は神に委せよ。
「神よ、吾が道でなく、おんみの道を。
私の愛する者すべてを、おんみの御手に委ねます。
御心が天において行われるように、
地においても行われますように」


――― ホワイト・イーグル


(桑原啓善訳 グレース・クック『霊性進化の道』より)





 
2019/09/18

宮沢賢治とボアンカレの心霊現象

やはり宮沢賢治は、心霊現象に深い関心があったという話です―――


秋山真之が日本海海戦の際見た予兆的霊夢の話は、浅野和三郎先生の晩年の名著『神霊主義』にも記されています。『神霊主義』には、この他にも霊夢の実例が幾つか挙げられていますが、そのなかにボアンカレ(フランスの有名な数学者)のもありました。


「(ボアンカレは)すべての方程式を解くべき一般法則を発見しようとして連日あらん限りの知能を絞っていました。ある夜もその問題を散々考えた後、眠りにつきましたが、翌朝目を覚ますと、数枚の紙にその問題の完全な解式が書かれてあったといいます」(『神霊主義』浅野和三郎)


実はボアンカレの名前を見て、私は宮沢賢治を思い出しました。賢治は霊能力者でした(賢治の場合、霊覚者と言うべきですが)。賢治は、自分に起こる心霊現象を科学的に解明したかったようです。ですから親しい友人森荘已池氏には会う度にしょっちゅう霊的な話をしたそうです。桑原啓善先生の『宮沢賢治の霊の世界』をご覧下さい。

その森荘已池氏のある文章の中に、賢治がボアンカレの霊的現象に関心をもっていたことを裏付ける一節があります。賢治はボアンカレの岩波文庫の本に、霊的現象の箇所にアンダーラインを引いていたというのです。賢治はやっぱりボアンカレなどの天才に起こった心霊現象(インスピレーションとふつうは言います)が頻繁にあったのでしょう。<心象スケッチ>という宮沢賢治の創作のひみつもそこにあるという桑原啓善先生の言葉も、頷けます。


土蔵の前に、畳の上敷用のゴザが広げられ、何十冊かの本がしみじみと陽を浴びてゐるのを私は見たのだ。私はそこにひとりでにしやがみこんで、それらの本を見つめた。きのふまで宮澤さんの枕の傍にあつたものであつた。
 前の日 ―― 昭和八年九月廿二日の朝、私は死の床の前にきちんと坐りこみ、両膝に両手を載せてうつむき、じつと宮澤さんの死顔を見て、ぽかぽかと、ただからだ中が熱くなる怒りを押さへつけてゐた。何に、どうして怒つたのか、その果て、枕もとに積んだ本が目につき、一番上に関徳弥氏が何日か前に盛岡の私の家を訪ねてくれた時に依頼してとどけた、岩波文庫のポアンカレの本が載つてゐた。
 私はそれを手に取つた。そのこまかい活字の各頁に、鉛筆で線が引いてあつた。
 街の曲り角を曲る時などパツと突然むづかしい数学の回答が出来たりすることがあるといふところには、恐らくニコニコと我意を得たといふやうな顔で線をひつぱつただらうと、私は秀でた顔や、高い鼻、少しそつぱなために作る上くちびるの特徴など、いまはもう虚無の方に近い温度になつてゐる人の顔を、ポアンカレの頁と比べて見つめた。(森荘已池「『春と修羅』私観2」)




<参考文献>

宮沢賢治の霊の世界』 桑原啓善 でくのぼう出版
宮沢賢治を霊的視点からとらえた、宮沢賢治研究の原点となる名著。

『スピリチュアルな宮沢賢治の世界』 熊谷えり子 でくのぼう出版
宮沢賢治自身の予知夢についてとりあげている。