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2019/02/16

今日の言葉

 恐怖心は魂の牢獄をつくる。恐怖を克服し、その念波に乱されないようにしなさい。
人は何物にも犯されはしない。
これを知りこの信念に燃えて、こう言いなさい
「私は神の霊だ。世の嵐も私に触れはしない。
どんな困苦も、私の前では色あせてしまう。
私には内在の無限の力がある」と。

 人には、あらゆる環境にうちかつ力がある。
この無限の魂の力を、貴方はみずから制限しようというのか。


――― シルバー・バーチ


(桑原啓善訳 A・W・オースティン 『シルバー・バーチ霊言集』)





 

 
 
2019/01/23

今日の言葉

しかし乍(なが)ら、 キリストがまことの道の為めに自己の生命を棄て、
家族を棄て、
地上の快楽を棄てて顧みなかった、
克己的犠牲行為は、
どれ丈人の子を罪より救い、どれ丈人の子を、一歩神に近づかしめたか知れない。


――― インペレーター


浅野和三郎訳 W・S・モーゼス『霊訓』より


2018/12/11

今日の言葉

カルマはスピードアップ出来るのかと、皆さんはお聞きになりたかろう。
左様、大いにあり得る。
特に魂の目覚めが起こった場合そうである。
かような場合、魂は、天界の神の姿をチラリとのぞいているのである。
この時、魂はこう叫ぶ「神のみもとへ近付きたい、一刻も早く、そこへ参上したい」と。
その答えはかように届く、
「よろしい、吾が子よ。但しその前に、そなたは自身の浄化をうんと積んでおかねばならなぬ」と。
やがて再生の時が来て、カルマは促進される。
その再生の生涯は、よそ目にはある程度、辛く悲しいものに見えるかも知れぬ。
しかし、一度神の幻を見た本人にとっては、何ほどのこともないのである。
本人は、このカルマによってゴールに到達できることを承知して、そのカルマを負う。
それ故、吾等は人を裁くことは出来ない。
吾等は他の者の人生航路を、あれこれ批判することをせぬのである。



ーーー ホワイト・イーグル
桑原啓善訳 グレース・クック「霊性進化の道」より)







 
2018/12/03

『秘儀への道』より 6

 人が霊の道に一歩を置くと、たちまち困難や挫折に見舞われることがあります。
どうしますか? 蹴とばしますか? 背を向けて逃げ出しますか? それとも、状況に応じて賢明に、また内部のキリスト光をもって処理なさいますか? 
私共は今皆さんの立場から話しています。しかし本当のことを語っています。
人はよくこう言います。「ホワイト・イーグルさん、なぜこんなことになったのですか。私がこれを仕出かしたとでもいうのですか?」
私共には人の叫びは聞こえもしますし、分かりもします。
だが、人に悲劇と見えることは、最後には素敵な学習の機会になるものです。それは霊性進化のチャンスなのです。
それあればこそ、悩みも失敗も傷も失意も、きれいに最後には拭い去られる霊性進化のチャンスだった、そうなることを私共が保証しておきます。
魂はこうした学習を、地上の経験を通じてのみ学べるものです。
人が神のように人生を歩くためには、内部の神を発現するに役立つ、すべてのチャンスを受け入れるようにせねばなりません。
天使らはいつだって皆さんの方に手を差し伸べています。このことを心にとめておかれるように。


――― ホワイト・イーグル 
     (桑原啓善訳 グレース・クック『秘儀への道』より)







2018/11/25

百パーセント危険な霊能開発

「 若し彼らにして一片の利己心があつたなら、そは必ず彼等の成功の心臓部を食い破つたであらう。」  『霊訓』※より 

※ステイントン・モーゼスを霊媒として、インペレーターを団長とする霊団より送られてきた通信。





 確かに霊能力は鍛錬すると出てきます。一つには体質にもよりますが、霊視能力も霊聴能力も物理的能力もそれだけ鍛錬すれば、その養成法、訓練によっては開けないことはないのです。しかし『霊訓』ではすぐれた霊能力をもつ霊媒になるよう霊能力を磨けとは絶対いわないのです。それは必要ないから、むしろやってはいけないからいわないのです。霊能力は開こうとすれば開けますが、今の時代は特に霊能力だけ磨いたら絶対いけません。やれば、ほんのわずかな我があっても百パーセントサタンは入ってきます。命取りになるからぜったいそれをやってはいけないのです。霊能力があることがいけないのではなく、愛と奉仕をせずに霊能力だけを第一目的に開こうとすると百パーセントサタンが入ってくるということなのです。これは絶対間違いのないことです。人によって違いますが霊能力を開くと霊視がきいたり予知が出来たり霊感が出てきたりしますが、それは神もなさるがサタンもやらせるのです。同じ位のサイキック能力が発揮できるので、それが神であるかサタンであるか本人は気づかないのです。ですから私は、愛と奉仕、愛と奉仕と、それしか言わないのです。そうすればその人の使命達成に必要な霊能は必ず結果として出てきます。それなのに、愛と奉仕を横においておいて霊能だけ求めるからサタンにやられるのです。一分の我があってもやられるのですから、せっかく霊能を開いても自分はサタンの支配下にさせられてしまします。

---桑原啓善


(『地球を救う霊的常識2』桑原啓善、でくのぼう出版、1995.11、pp42-43)