2017/08/27

何事ありても自殺はするな

「(前略)しかしそれまでの十年間の苦痛悔恨! 
垂下せる(※首つり自殺した)醜しき骸……
人生の悲惨に泣く良人と二人の子供とのあわれな姿……。
眼には見えても助くる道も、慰める術もなき私の心の苦しみは、どれほどでありましたろう!

で、私は衷心から自殺を計る所の一切の人々に向かって警告したいと存じます。―
何事ありとも、自殺ばかりはなさいますな!(※下線部は、原文は傍点で強調あり)

あなたは何にも御存知がないので、今自殺しようとして居られますが、それは御自分の入る地獄を造り上げるのです。
一たん身体から出脱けた上は、モウ二度とその内部(なか)へは戻れません。
それツきり御自分の務めを果たすことができなくなります。

何よりも先ず、私の子供等のあわれな身の上を考えて下さい。自分達の母親は自殺をしたのである、という考えから、終生離るることができないではありませんか! 
私の良人も、又子供等も、決して心から私を許す気にはなれません。
たとえそれが憑霊の仕業であって、自分自身の心から出た仕業ではないにしても、私はあんなに苦しまねばなりませんでした!

もしもあなたが、真に霊界方面の法則を御存じならば、あなたは決して自殺しようとはなさらないでしょう。
その結果が実に恐ろしいからです。
是非その忌まわしい考えにだけは打ち勝ってください。
自然にあなたが霊界に入らねばならぬ時節の到来するまで、この地の世界で幸福にお暮らしなさいませ。

私が苦しみ抜いた十年という歳月は、私が無理に縮めた期間でした。
あの十年を地上で過ごした上で、私は霊界の人として、又母としてやるだけの任務を首尾よく果たした上で……。

霊界には霊界の厳律がございます。自分に与えられたる期間を、現世で過ごした上でなければ、自分ぎめに霊界には入れません。
私は私の過失に対する刑罰として、十年の間、間断なく自分の眼に、自分の醜しき屍骸の垂下している状況を見せられました。
そしてその間、私は自分の良人と、子供等とがどんなに困っているかという事を忘るる隙とてありませんでした。(…)」


――― 浅野和三郎抄訳 ウイークランド原著『者に交る三十年』(心霊文庫第17篇)
     「憑依と自殺の実例 その一、何事ありても自殺はするな」より一部抜粋


(※は補い、旧字表記を現代仮名遣い(表記)になおしております。)


2017/08/25

「憑依と自殺の実例」より

「 われわれ人間は、死ぬるということはございません。
ただ死と称する一つの関門を越えて、別の世界に進み入るだけです。
その真理さえのみ込んで居れば、死後の世界は、実に美しい境涯です。
しかし人間は地上の生活をして居る時から、来世に関する知識を、少しは蓄えて置かねばなりません。

 何卒あなた方は、御自身並に人生に就いて、充分に研究していただきます。
さもないと、私の倅(※せがれ)のような目に遭います。
彼は(※ピストルで心中してから)何年間か、ただ逃げることばかり考えて居ました。
私を見ても、又自分の愛人を見ても、ただ一生懸命に逃げました。

 それから倅はしばらくの間、一人の老婦人に憑依して居たこともあります。ドウすればその霊衣(オーラ)の中から脱出し得るかを知らないので、いつまでも其所に滞在して居たのです。
一と口にいうと、倅は地獄に入って居たのです。但しその地獄は、あの宗教で教ゆる火の地獄ではありません。自分の無智から造り上げた一種の地獄なのです。

 何卒皆様は来世の状況を研究して置いて、死後の準備をなさいませ。
死というものはダシヌケに来るものですから……。
その準備はただの信仰ではいけません。真の知識が必要です。
死の黒幕の彼方に何があるか、よくそれを査(※しら)べて置いていただきます。
そうすれば、いよいよ時節が来て、次の世界に歩み入る時にマゴつきません。
自分の行き先がよく判って居ますから、私の憐れな倅のように、地縛の霊魂とならずに済みます。」


――― 浅野和三郎抄訳 ウイークランド原著『死者に交る三十年』(心霊文庫第17篇)
     「憑依と自殺の実例 三、亡母の注意と謝辞」より一部抜粋


(※は補い、旧字表記を現代仮名遣い(表記)になおしております。)


2017/08/15

「運命」と「死」の真実


〔八五一〕 人生には運命(それは定義どおりの普通の意味ですが)がありますか。即ち、予め定められている人生の出来事のことです。もしあるなら、自由意志はどうなりますか。


運命があるとすれば、再生の時に、それぞれの霊がこれこれの試練を担おうと決意をした、その結果があるだけである。この試練を選ぶことによって、彼は自分のための一種の運命をつくる。その運命なるものは、彼が自分をそこに置きたいと選択したその状況、その当然の結果である。今ここで話しているのは、肉体的試練についてだけである。と申すのは、精神的試練や誘惑ということについては、善悪いずれを選ぶか、それに従うか拒否するか、これには選択の自由を霊が残しておくのが通例であるからである。善霊は、しりごみをする人を見れば、やって来て助けてやる。しかし、本人の意志の働きを犯すところまではしない。これに反して悪霊は――つまり未発達霊は、あれこれつべこべと不安を吹き込んでは、本人を悩ませ脅かす。しかし、そうではあっても、本人の霊がどんな選択をするか、その意志の自由は残されている」




〔八五六〕 地上生活でどんな死に方をするか、これを予め知っていますか。


「霊は、自分が自分の人生を選んだこと、そこである一定の死に方をすること、これを知っている。また霊は、その危険を避けるために自分がせねばならぬ努力を予見している。更に霊は知っている、もし神のお許しがあれば、自分はそれを免れるということを」




〔八六〇〕意志と努力で、人はもしかしたら起こる筈だった事件を、起こらずにすますことが可能ですか。また、この逆もあり得ますか。


「自分の選択した人生と、この事が矛盾せぬなら、それは可能。更に、善を為すために、これこそ人生の唯一の目的であり、そうあるべき善を行うために、人は悪を避けてもよい、なかんずく、大きな悪の元になりそうな事を妨害してよろしい」



(『霊の書(下)』アラン・カーディック編.桑原啓善訳.pp.103―104,p106,p108)

2017/08/13

今日の言葉

 いま夜盗が押し入って物を盗んだとしよう。
皆さんはあきらめ顔にこう言うだろう「カルマのせいだ」と。
しかし、大事なことは、そのカルマで貴方は何かを学んだかということ。
それでなければ、そのカルマは戻って来る、来世、再来世といわず、今生のうちに。
つまりこういうことですかな、かつて貴方は人の物を盗んで苦痛を与えたことがある、だから貴方は盗まれることが何であるかを、学ばねばならないのだ。
カルマというのは吾等の学習のためにある。それによって吾等はもの事を知る。またそれにかかわる他者もまた学習をする。



――― ホワイト・イーグル 
     (桑原啓善訳 グレース・クック『霊性進化の道』より)



 
2017/07/14

今日の言葉


「忘恩で失望すれば、人は心を無慈悲、無情にしようと思いませんか。」


「実際はそうばかりではない。心の広い人々は唯善行をしたことを喜ぶものだから。
彼等は心得ている、かりに彼等の善行をそれを受けた者が現世では忘れても、あの世では思い出し、恥じて忘恩の責めに苦しむということを」



――― 桑原啓善訳 アラン・カーデック『霊の書』(下)〔九三八〕