2017/02/16

真の霊媒(霊能力)とは 2


(真の霊能力とは)



「霊媒行為には正常と異常の区別があることを、はっきり知っておいてもらいたい。
すなわち、霊が外部から霊媒に直接働きかけ、霊媒を入神させて体外に霊を退去させ、本人に代わって知性を発揮する。この場合は大なり小なり霊媒の肉体器官を霊が支配している。これが我らの言う異常であって、催眠術師が病人を支配するやり方と同じである。

 我らの言う正常な霊媒行為とは、現に霊媒が相当な霊的資質を備えていて、これに外から霊感が吹き込まれると、その力が高揚し補強されるという、こういう場合である。
この場合は、入神させられたり、本人の霊が退去させられたりすることなく、霊力の発揮が強化され補助されるのであって、霊媒本人はその指導霊の助言を聞くこともできるのである。これを通じて霊媒は素直となり、思想は穏健となり、純粋素朴な意志と行為の人間へと鍛えられていく。霊媒の魂は、いつも敏感に、霊感のささやきに開かれている。異常の方法では観念の伝達は骨が折れたが、これだと観念が自然に霊媒の魂に流入する。魂のもつ本来の力が、抑えられたり妨げられたりすることなく、開発され豊かさを増していく」



桑原啓善訳 ステイントン・モーゼス『続霊訓』p109







2017/02/14

真の霊媒(霊界通信)とは 1



(S・モーゼスは、インペレーターの地上時代の名前はマラキ〔訳者注:紀元前五世紀のユダヤの小預言者〕であると聞かされていたので、これについて質問。「マラキとは何の象徴なのですか」)



「いや、そうではない。それは事実であって、象徴ではない」


―― あなたはリフォーマー(宗教改革者)と言っておられますね

「私は地上時代の生活はネヘミヤの名で伝えられているものと関係がある。〔訳者注:ネヘミヤは紀元前五世紀バビロンに捕囚されていたユダヤ人をエルサレムに連れ帰り、同地の総督となり、ユダヤ教を再興。その業績は『ネヘミヤ記』に記されている〕ユダヤ教の予言者の中で、おそらくモーセ、エリヤ、エレミヤ、エゼキエル以上に完全な霊媒はいなかった、少なくともその記録が残されているユダヤ人の中では。
 エホバとは、そう呼ばれていたとおりに、アブラハム、イサク、ヤコブの神であって、唯一神ではなく、一族の守り神だった」



(霊の身元と名前の同一性にまごついているモーゼスに、次のように伝えられた)



「通信霊の名前は、貴下に霊からの通信が伝えられる場合の、便宜上の符丁にすぎない。通信は場合によっては、いろいろな霊のものがまじっている。諸君らの言葉で言えば、非人称的なものだ。多くの場合、貴下に届く通信は一個の霊の作品でなく、多くの霊の集約的作品である。貴下への通信に関与した多数の霊達は、もっと高級な霊力を貴下へ伝えるための手足にすぎないのである。我らは熟考し、相談し、その上で貴下は我らの一致した思考の通信を受け取る。
 貴下は自分の霊力を養い、肉欲を抑制し、己が環境を克服することを学ばねばならぬ。地上世界は内的ないっそう真実な生活の準備にすぎない。このことを理解する者とならねばならぬ。我らが世界こそ真実。地上は影の世界である」




桑原啓善訳 ステイントン・モーゼス『続霊訓』p109







2017/02/06

邪霊を見破る霊的法則の物差

【注】
邪霊を見破る霊的法則の物差

① 自分は神、救世主、偉い前世などと自称する者。

② 金、勢力拡大、売名を目的とする者。

③ 本人の日常生活が人間の道に反する者。右のほか、奇跡や超能力をチラつかせるものは要注意。


―――桑原啓善 「デクノボー革命(下)〈ネオ・スピリチュアリズム講座〉」より






2017/01/31

守護霊について

Q 
守護される当人が指導にどうしても従わぬ時は、守護霊がその守護を放棄するということが、よくありますか。

A
「助言の効果がないと見てとった時、また低級霊の言うなりになってどう仕様もない時、守護霊は手をひく。しかし、本人を全く見捨てるわけでなく、言うことを聞くよう努力を続ける。本人を捨てるのは守護霊ではなく、守護霊の言葉に耳を閉ざす人間の方である。人間の方で守護霊に心を向ければ、守護霊は直ぐ戻って来る」

「最大の不信の徒の心をもとらえて放さぬ教理がもしあるとすれば、この守護霊の存在、即ち守護天使の存在の教理であろう。貴方の傍にはいつも、貴方より優れた者がいる、その人は貴方に常に寄り添い助言を与え、進歩の坂道を登るのを支え助けてくれている。此の世のどんなつながりよりも深い縁で結ばれ、その情愛は真実、貴方のために尽してくれる、その人が貴方の傍に居る。こう考える時――これ以上の心の慰めがありますかな? このような存在が、神の命によってあなたの傍に居る、この者を貴方の傍に置かれたのは神である。彼等は神の愛によってそこに在る、彼等は高貴にして労多い使命を諸君らのために果たしてくれている。諸君等が行く処に彼等はあり、地下の牢獄、人里はなれた処、らい病患者の家、どんな堕落漢の巣窟にも彼等は居る。何者も諸君等を、その見えぬ友から引き離すことをしない。その優しい刺戟はそこにあり、心の奥深くで賢者の戒告は耳に聞こえる」




――― 桑原啓善訳 アラン・カーディック編 『霊の書(上)』より






2017/01/27

安易な瞑想について

ご質問コーナー
Q.
世界平和のための瞑想を集まってやるからと誘われましたが。


A.
 安易な瞑想は危険ですから、おすすめできません。瞑想は原則として、日常生活を自己の心身の浄化と世のため人のために志を立てて生活努力をしている人が行うべきものです。なぜかというと、瞑想中は自己の意志のコントロールを横に置いて無心の状態になりますので、この隙を狙って邪気、邪霊が容易に感応し易くなります。ですから、右の生活努力のない人の安易な瞑想は、甚だ危険なのです。だからその瞑想会が世界平和と銘を打っていても、一般には集まる人々が右に記したようなふつうの人々が多数の場合は、この隙を狙って邪気、邪霊がとりつき働くことがあり、その結果、目的とは裏腹の結果を招く恐れがないとはいえません。

 通常の人々に日常はたらく霊の様相については、詳細が書いてありますから石上凉『ボクの霊体験日記』(でくのぼう出版)をご参照ください。また原理については桑原啓善『デクノボー革命』下巻(でくのぼう出版)をご参照ください。

海