2018/07/02

今日の言葉

 今日に至るまで大事業が進展している、しかしなお未完の大事業が残っている。
物質界には不要な戦争がある、もし人々が真理を知り、真理に従って生きるなら、もはや殺戮などは無くなるのである。
神の恵みは無限であるのに、地上には飢餓がある。
新鮮な空気を奪われ陽光に当たることもなく、生命線以下に圧迫された陋屋が建ち並んでいる。
欠乏と不幸と悲惨がある。

 世には、切り捨てるべき迷信がある、なお心を痛める問題がある、なお絶滅すべき病気がある。
私たちの仕事はまだ完成していない。
私達はこれまでに果たした業績を見て奮いたち、そして祈る、私達に力を与え給えと。
皆さんの協力を得ていっそう大きな奉仕が果たせますようにと。


――― シルバー・バーチ



(桑原啓善訳 A・W・オースティン『シルバー・バーチ霊言集』)




 
2018/06/16

太古の永遠の真理

 過去の秘教学校は、霊が永遠の生命であることを示す、大いなる目的に奉仕していました。
人間の起源とその道、すなわち人間はどこから来たのか、なぜ地上に存在するのか、その終着点は何か、このことを秘教学校は教えたのです。
しかし、人類が物質に深く首を突っ込む時が来ました。そうして、人は霊の世界を見る「第三の目」を失いました。
退歩がおこり、霊力の誤用がおこりました――それは恐らく、若い僧たちの焦りとか、学徒たちが試練に耐ええなくなったことによります。
しかし、これとても神の計画からはずされるものではありませんでした。何となれば、精神と物質の両面で人間は進歩しなければならないからです。人間は「物質くさく」なるのも必要だったのです。その意志の開発と強化、これが必要だったのです。
 
 そこで、英知の大師たちは姿を隠し、地球の秘所にしりぞきました。彼等は今でもそこに住んでいます。
しかしながら、時折一人の教師が、太古の英知の寺院から出て来て、人類にもう一度真理を提示します。
特に、新時代の当初にはそういうことがあります。人類が新しい思想と生活に入って行く、新時代の到来の時はです。
そんな時には、必ず太古の永遠の真理が、その新時代にふさわしい形で再説されます。そうして、人類が一つの時代から次の時代へと入っていく、困難な転換を助けます。


――― ホワイト・イーグル
     桑原啓善訳 グレース・クック『秘儀への道』





2018/03/28

今日の言葉

 人生の辛酸をなめつくして後、初めて頬笑みと喜びの味が分ってくる。
人生はどん底に落ちた分だけ、高く飛翔できるものだ。
地上の影を経験し嘗(な)め尽くすほどに、人は陽光のもつ大きな喜びを、味わいとることができる。


――― シルバー・バーチ


桑原啓善訳 A・W・オースティン編『シルバー・バーチ霊言集』)






 
2018/03/08

『秘儀への道』より

 私共の言葉をお読み下さった方の多くは、過去において聖白色同胞団の活動家だった方々です。特に、現在何らかの(霊光を発している)ニューエイジ団体で奉仕なさっている方々はそうなのです。
そういう奉仕にたずさわる方々は、過去世での経験と奉仕活動で、あるていど霊的真理をすでに身につけておいでです。
現世での生活を終え、他界に入ってからの貴方がそっくり今ここにあるわけじゃありませんが――あるいは、それは衣装戸棚に掛けてある、そこで出番を待っていると申しますか――一度学習した内的英知というものは、決して失われることはありません。
この故に、皆さんの多くは胸の内の太古英知を思い出す、そんな感じをお持ちです。
といって、魂に組み込まれて、自分の中には真理があるぞと、そんな確信がなくてもいいのです。
おそらくある時、皆さんは怠けて道からそれたのです。しかし、それは不名誉なことじゃありません。もう一度やる気を出す限りはです。
神は慈愛に満ちておいででして、次の人生、また次の人生で、皆さんは新しいチャンスの場を与えられます。
勇気を出して前進なさい。新たな努力を奮いたたせなさい。次に機会がきたら、前より今度はうまくやると決心なさい。
結局、真実であれ、です。


――― ホワイト・イーグル
     (桑原啓善訳 グレース・クック『秘儀への道』より)







2018/03/06

今日の言葉

 イエスはその全生涯を通じて、当時の時代精神に対する、真っ向からの反対者であった。
したがって、彼はそのような人物のたどる運命をたどった。
すなわち最初はしりぞけられ、次いで不当にも告発され、罪を負わされ、結局は処刑された。

 伝説の部分はこれを、無視してもよい。
しかし、イエスの愛の生涯と彼の説いた福音は、これを無視してはいけない。
イエスの教えの根本にある原理は、神の父性とその神の崇拝、
人間の同胞性と人と人を結びつける関係・絆(きずな)・祈りの法と自己犠牲の法、
いわば、人から自分がしてもらいたいと思うように人にもせよ、ということ。


――― インペレーター


桑原啓善訳 ステイントン・モーゼス『続霊訓』