「運命」と「死」の真実
Q
Q
〔八五六〕 地上生活でどんな死に方をするか、これを予め知っていますか。
(『霊の書(下)』アラン・カーディック編.桑原啓善訳.pp.103―104,p106,p108)
〔八五一〕 人生には運命(それは定義どおりの普通の意味ですが)がありますか。即ち、予め定められている人生の出来事のことです。もしあるなら、自由意志はどうなりますか。
A
「運命があるとすれば、再生の時に、それぞれの霊がこれこれの試練を担おうと決意をした、その結果があるだけである。この試練を選ぶことによって、彼は自分のための一種の運命をつくる。その運命なるものは、彼が自分をそこに置きたいと選択したその状況、その当然の結果である。今ここで話しているのは、肉体的試練についてだけである。と申すのは、精神的試練や誘惑ということについては、善悪いずれを選ぶか、それに従うか拒否するか、これには選択の自由を霊が残しておくのが通例であるからである。善霊は、しりごみをする人を見れば、やって来て助けてやる。しかし、本人の意志の働きを犯すところまではしない。これに反して悪霊は――つまり未発達霊は、あれこれつべこべと不安を吹き込んでは、本人を悩ませ脅かす。しかし、そうではあっても、本人の霊がどんな選択をするか、その意志の自由は残されている」
Q
〔八五六〕 地上生活でどんな死に方をするか、これを予め知っていますか。
A
「霊は、自分が自分の人生を選んだこと、そこである一定の死に方をすること、これを知っている。また霊は、その危険を避けるために自分がせねばならぬ努力を予見している。更に霊は知っている、もし神のお許しがあれば、自分はそれを免れるということを」
Q
〔八六〇〕意志と努力で、人はもしかしたら起こる筈だった事件を、起こらずにすますことが可能ですか。また、この逆もあり得ますか。
〔八六〇〕意志と努力で、人はもしかしたら起こる筈だった事件を、起こらずにすますことが可能ですか。また、この逆もあり得ますか。
A
「自分の選択した人生と、この事が矛盾せぬなら、それは可能。更に、善を為すために、これこそ人生の唯一の目的であり、そうあるべき善を行うために、人は悪を避けてもよい、なかんずく、大きな悪の元になりそうな事を妨害してよろしい」
(『霊の書(下)』アラン・カーディック編.桑原啓善訳.pp.103―104,p106,p108)
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